Feel Japan by Bike 自転車で散歩…

1996年2月29日 曇り

彼の部屋でまた目を覚ます。

放し飼いになっている鶏の鳴き声を半分夢の中で聞きながら今日のこれからの重い一日のことを考える。

彼を起こし、別れを告げる。

 

今日の予定は11時だが、昨日、兄貴がアポイントの時間をよく把握していないように感じたので万一8時に迎えに来ても大丈夫なように8時までにはタマンメカにいるようにする。

部屋の前の椅子に座ってじっと待つ。時間が経つのが遅い。

 

10時頃に電話が入る。

トニー=テラーからだ。

「デンパサールのあの家ではポリスにチェックされてしまっているのでできない。従兄弟が経営しているバンコクのゲストハウスに来て欲しい。」という。

そういえば、最初にマタハリで彼らに会った時、この後、バリ島から自転車でジャカルタ~シンガポール~バンコクへと行くことを話した際、「従兄弟がバンコクのカオサンロードでゲストハウスしているからそこへ行ったらいいよ。」と言って”KCゲストハウス”という名前のゲストハウスのアドレスを貰っていた。

カオサンロードは世界的にも有名なバンコクのバックパッカーのメッカで多くの格安ゲストハウスがひしめくエリアだ。

 

しかし、

「知っての通り全部T/Cは米ドルのキャッシュに換えて全額リー=コイに渡したのだからそんなお金があるわけないだろう。なんでそんな話になるのだ、到底受け入れられない。」と断る。

途方もなさ過ぎる。

しかし、トニー=テラーも苛立ちを抑えるように、

「とは言っても他には方法はないだろう?」と言う。

 

生殺与奪権が向こうにある以上、これ以上こちらがだだをこねても一歩も前に進まない。

仕方なくバンコクのKCゲストハウスに行くことを決め電話を切る。

 

混乱を極め、Y君に意見を聞いてみようと思いロスメンへ行くが部屋にはいない。

「多分、ビーチだろう。」とのことで行ってみる。

一通りビーチを探すがいなく、マタハリの方も探してみるがいない。

再度ビーチに行ってみると昨日彼が話していたようにビーチでマッサージをして貰っている。

新展開の話をし、自分の中ではバンコク行きはほぼ決心していたものの、見解を聞いてみる。

本当にそれはベストの選択なのか冷静な意見を聞いてみたかった。

一通り話を聞き終わり、少しの間考え、

「バンコクへいくしかないのでは?」と言う。

 

ナトゥールホテルに入っているガルーダインドネシア航空のオフィスへ行き、3月2日発のバンコク行きのチケットを買う。

US$694だったがUS$525で買える。こんな時でもついている。

 

その後、Y君の買い物につきあう。今晩、彼はバンコクへと飛び立ってしまう。

 

自転車の後ろに彼を乗せ、空港まで見送る。

 

1人になってしまい非常に心細い。

いよいよ追い詰められたような気分になり、ネガティブな思考に支配されないように何か行動をしていないと落ち着かない。

もしかしたらまた偶然奴らに出くわすかもしれないと思い、夜遅くまでレギャンの通りをウロウロするが徒労に終わる。

 

 

致命的な選択肢が続く日々はまだまだ続きそうだ。

実際に起こっていることを客観的に解釈し、複数の選択肢の中からもっとも妥当と思われるものを正しく選び、きり抜けなければならない。

1人になった静かな部屋のベッドの上でじっと天井を見つめ、走馬燈のようにめまぐるしく変化する日々に自分が思い描くような理想的な終わりがあるのだろうか、と自問自答する。