Feel Japan by Bike 自転車で散歩…

1996年3月1日 曇り

バンコクへ決戦に経つのは3月2日でリターンの日付は5日にデンパサール着。

その間の荷物はデンパサールに置いていくことにする。

 

また、このタマンメカのロスメンはトニー=テラー関連でポリスに踏み込まれる可能性もないとは言えないのでY君が泊まっていたSuka Beach Innへと移る。

3月8日まで予約し連泊のディスカウントを交渉する。

その後にナトゥールホテルのガルーダのオフィスへ航空券を受け取りに行く。

 

こちらからトニー達に連絡を取る術がないため、できることと言えばこの間のような偶然を期待しクタやレギャンの繁華街を中心に彷徨するしかない。

カオスの様相を呈するバリの開放的な南国気分を楽しんでいる観光客が羨ましく思える。

そういった観光客を狙ってかひっきりなしに怪しく声をかけてくる輩が多い。

 

明日のバンコク行きに備え、一瞬たりとも弱気にならないように何度も「原点回復し、旅の継続」を強く決心する。

そのためには全てにおいてミスがあってはならない。

 

旅の継続を賭けて勝負を挑むことが大義名分であるものの、その非合法性、金額の大きさ、日本にいる友達や親の気持ちに対する背徳、その全ての重みにやがては自分が耐えられなくなってしまわないだろうか。

遅かれ早かれ高いところに張られたロープの上で立ち止まって文字通り地に墜ちてしまわないだろうか。

 

先の見通しがどうなるのか到底書き表すことができない。

 

オーストラリアではあんなに頑張って走って、たくさんの人に助けられ応援されて、同じものを買うときでさえ1セントでも安い買い物をして生活を切り詰めたのに・・・。

自分も随分と落ちぶれてしまったものだ。

 

眠れぬ孤独な夜を過ごす。